仁和寺からのお知らせ
今月の法話
19/09/05

日常五心

 「日常五心」とは、ハイという素直な心、すみませんという反省の心、おかげさまという謙虚な心、私がしますという奉仕の心、ありがとうという感謝の心、と書かれています。
 この「日常五心」というものは、真言宗でよくいう三密・三業というものになります。三密とは身口意のことで私たちの体・言葉・心がバランスよく働き、仏様の力が加わると三密加持となります。それに対して、三業とは、私たちの体・言葉・心がアンバランスになり、道理からはずれた行いをした時の事を言います。三業を三密にかえるべき初歩的な行が「日常五心」にある様に思えます。
 
 「五心」とは
 
 一、「ハイといえる素直な心」
 ハイという一言、誰の呼びかけに対しても素直にハイと返事をすることができていますか。病院の受付で名前を呼ばれて返事をせず、立ち上がる大人に「どうして、あのおじちゃんはお返事しないの」と母親に聞く子どもがいました。
 少々こじつけですが、ハイとは仏様を礼拝するという拝の字に通じているのではと思います。拝む時の素直な気持ちでハイと返事をしましょう。仏様の声だと思い、気持ち良くハイと返事のできる人になりたいものです。
 
 二、「すみませんという反省の心」
 お大師様の教えに「みずからをかえりみることの出来る人と、いたずらに他を恨む人と、そこに教養の高さ低さが現れる」とあります。
 だれのお話だったか忘れましたが、日本語の『すみません』は深い意味があり『これでおわったのではなく、必ず償いをします』の思いがこめられているのだと聞いたことがあります。つまり、反省するということは、その償いをしなければならないと言うことです。口先だけでは無く心をこめ、償いの思いを込めてこそ、ようやく済むと言うことなのでしょう。人として決して忘れてはならない行いだと思います。心して「すみません」とつかいましょう。
 
 三、「おかげさまという謙虚な心」
 お大師様の教えに「一切衆生を観るに、なおしこしんおよび四恩の如し」とあります。四恩とは、父母の恩、国の恩、衆生の恩、三宝の恩です。つまり、ご先祖からの血縁により与えられたいのち、次にそのいのちを支える空間、そしてお互いに支え合ういのちと、正しい教え導きがあってこそ私たちは生かされているということです。自分自身がほかならぬ「四恩」のたまものです。生きとし生けるものすべてが我が身であると思いなさいということです。「ぼくが、私が」とついつい口に出がちですが、分かちあいの心、つくしあう心を深めて「おかげさま」という謙虚な心を養いましょう。
 
 四、「私がしますという奉仕の心」
 私たちは、生きているから働きます。動きがとまれば、それは死を意味します。だから、にんべんに動くで働くをいう漢字になります。また、働くは、ハタとラクに分けられます。はたを楽にする、つまりハタとは、周りを楽にするということで、すばらしいことです。仏教では自利利他という言葉があり「自利が他を利する。また、他人を利することが、我が身の利である」といいます。このように考えると、まわりの人のために私に何ができるか、させていただけるかということでしょう。「私がします」という奉仕の心を養いましょう。
 
 五、「ありがとうという感謝の心」
 私たちの周りの人々や出来事から、私たちをとりまく自然環境など、同じ時に生かされている全てのものへの感謝の気持ちです。また、時をさかのぼり、ご先祖やそれに関わるあらゆる事への感謝の気持ちです。日々「ありがとう」という心を持ち過ごす事で、どれほど豊かな心で生きていけるでしょう。「ありがとう」と言う人も、言われる人も、感謝の心で満たされ穏やかな気持ちになるでしょう。生きている、いや生かされているありがたさに気づくことにより、この「ありがとうという感謝の心」が養われるのでしょう。
 
 これまで五つの心「日常五心」についてそれぞれお話ししました。この五つの言葉は、普段から誰もがつかっている言葉です。その中に含められた深い意味に気づき、体・言葉・心のバランスをよくして仏様と縁を繋いで生活したいものです。